文部科学省の新卒採用、就活情報
本社
東京都
業種
文部科学省は、文部省と科学技術庁とが統合し平成13年に発足しました。幼児・家庭教育、小・中・高等学校、大学・大学院、特別支援教育など教育に係わる法律や計画の策定、またその情報発信に努めると共に、科学技術・学術面においても科学技術イノベーション政策を推進、実行するための研究基盤整備やグローバルな視野を持った人材の育成・確保に尽力しています。ライフサイエンスやナノテクノロジーなどの分野別の研究開発や産学官の連携、国際的な活動にも力を入れています。外局として設置するスポーツ庁では、スポーツに関する施策や振興のほかオリンピック出場選手の育成などといったスポーツに係わる多様な政策を執り行っています。同様の文化庁では、著作権や宗教関連の行政事務を担うほか、芸術文化における交流や国際的な観点からの振興を図っています。
日本の行政機関の一環である文部科学省では、幼児教育振興を推進し、子どもたちの成長の礎となる家庭教育の向上を目指した施策をはじめ様々な取り組みを行っています。天然資源の乏しい我が国では、昨今アジア諸国間での科学技術連携を推進すると同時に、国際共同研究プロジェクト等の実現に向けて不可欠となる人材育成に重きを置いています。また、生命を慈しみ他人を思いやる心、規範意識を育む道徳性においても、道徳教育に対する理解と普及を図るため、テレビドラマとのタイアップなども実施しています。障害を持つ幼児児童生徒の支援を強化、いじめや不登校など子どもたちが発信するSOSの対策措置にも尽力し、次代を担う子どもたちのために「生きる力」を育む教育や学習指導等の取り組みを総合的に推進、所掌しています。
会社名 | 文部科学省 |
従業員数 | 1764人 |
代表者 | 文部科学大臣 馳 浩(はせ ひろし) 昭和36年5月5日生 出生地 富山県 出身地 石川県 所属 自民党 衆議院議員 石川県第1区選出(当選 衆6、参1) 昭和59年3月 専修大学文学部国文学科卒業 昭和59年4月 星稜高校国語科教諭(~S60.8) 昭和59年8月 ロス五輪レスリンググレコローマン90kg出場 昭和60年9月 プロレスラー(S60.9~H18.8) 平成7年7月 参議院議員石川県選挙区初当選 平成12年6月 衆議院議員選挙 石川一区より出馬、当選 平成14年10月 自由民主党 厚生労働専任部会長 平成15年9月 文部科学大臣政務官(H15.9~H16.9) 平成16年9月 自由民主党 国会対策副委員長 平成17年4月 自由民主党 石川県連会長 平成17年11月 文部科学副大臣(H17.11~H18.9) 平成18年9月 自由民主党 国会対策副委員長 平成19年8月 自由民主党 副幹事長 平成20年8月 自由民主党 文部科学部会長 平成21年10月 自由民主党 石川県連会長 自由民主党 総務会副会長 平成22年9月 自由民主党 国会対策副委員長 平成24年12月 予算委員会筆頭理事 平成25年3月 2020年オリンピック・パラリンピック東京招致推進本部 本部長 平成25年8月 自由民主党 石川県連会長 平成25年10月 2020年オリンピック・パラリンピック東京大会実施本部 本部長 平成26年9月 自由民主党 広報本部長 平成27年10月 文部科学大臣 教育再生担当 星稜高校入学後アマチュアレスリングを始め高校三年で国体優勝。専修大学ではレスリング部の主将を務める傍ら教員免許取得。1984年3月専修大学卒業後、母校星稜高校で国語科教員として教鞭をとる。1984年ロス五輪アマレス・グレコローマン90kg級で出場、その時の経験から『勝つためだけでなく、人に感動を与えるためにスポーツをしたい』と翌年1985年、長州力率いるジャパンプロレスの門を叩きプロレスラーに転身。その後新日本プロレスの中心選手として、また若手のコーチ、選手と会社を繋ぐパイプ役として活躍、リング外では弁舌鮮やかな語り口と達者な文章でテレビ、ラジオ、雑誌を問わず独自の文学論、スポーツ論、人生論、教育論を展開。日本文学風土学会会員でもある。 1995年7月第17回参議院議員通常選挙石川県選挙区より自民党の推薦を受け出馬、現職候補との激しい選挙戦の末初当選。後に自民党入党。 信条 子を育て妻をいたわり親守ろう 趣味 古典解釈・寄席通い 家族 妻・長女 座右の銘 「志高気清」・「不易流行」 【おもな著書】 「『ねじれ国会方程式』 児童虐待防止法改正の舞台裏」北國新聞社 2008年 「馳浩のやさしい教育論」長崎出版 2003年 「快刀乱筆」北國新聞社 1999年 「『古典』簡単じゃないか」PHP研究所 1996年 |
設立日 | 1871年9月2日 |
本社所在地 | 東京都千代田区霞が関3丁目2-2 |
※掲載内容は2016年09月現在のものです。