「好きな服や髪型で面接を受けていい」澤円が語る、就活を辛いものにしない考え方

自己分析をしたもののやりたいことが見つからない、自分が働くイメージが浮かばない……という就活生に向けて、さまざまな業界で活躍する人から「社会に出たときのはじめの一歩」を語ってもらうインタビュー。

今回話を聞いたのは、プログラマとしてキャリアをスタートし、「プレゼンの名手」として多くのビジネスマンに知られる澤円(さわ・まどか)さん。

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現在は外資系大手IT企業の執行役員として年287回ものプレゼンテーションをこなすほか、公演に取材にと大忙しの澤さんですが、新卒時代は「プログラマとして採用されたものの、まったくダメダメだった」といいます。

就活生時代にどのような考えを持って企業を選び、どのように働いてきた結果、現在の活躍につながるのでしょうか……?
澤さん、社会に出たばかりの頃のお話、聞かせてください!
 

澤円(さわ・まどか)さん

Voicyパーソナリティ、琉球大学客員教授。Twitter:@madoka510
立教大学経済学部卒。生命保険のIT子会社勤務を経て、1997年、外資系大手IT企業に転職。 ITコンサルタントやプリセールスエンジニアとしてキャリアを積んだのち、2006年にマネジメントに職掌転換。 幅広いテクノロジー領域の啓蒙活動を行うのと並行して、サイバー犯罪対応チームの日本サテライト責任者を兼任。
現在は、数多くのスタートアップの顧問やアドバイザを兼任し、グローバル人材育成に注力している。テレビ・ラジオ等の出演多数。
著書に『外資系エリートのシンプルな伝え方』(中経出版)、『マイクロソフト伝説マネジャーの 世界No.1プレゼン術』(ダイヤモンド社)『あたりまえを疑え。自己実現できる働き方のヒント』(セブン&アイ出版)。

 

25卒の就活について相談したい

 

めちゃくちゃ意識が低かった就活生時代

――就活生向けのイベントに登壇されたこともあるとのことですが、就活生へどのようにアドバイスされていますか?

澤 「学生のうちにやりたいことを見つけておきましょう」とか、「自分の棚卸しをしましょう」なんて偉そうなこと言えないですよ。僕が就活していた頃、全然やってませんもん(笑)

だから、自分のやりたいことが見つかっていなくても大丈夫ですよ。心配する必要ないんじゃないですかね。

心配してしまうのは他人と比べるからです。「ほかの人はやってるけど俺はやってない、どうしよう?」ってなる。他人がやってるから自分もやらなきゃって意気込む必要はない、自分基準でいいんじゃないかと僕は少なくとも思ってます。

バブルの余韻でなんとなく受けてもらった内定

――澤さんご自身はどのように就活をされていたんでしょうか。

澤 僕が社会人になったのは1992年です。就活をした91年はバブルは崩壊していましたが、新卒採用にはさほど影響が出ていなかったので、学生は割と簡単に内定が取れる時代でした。「受けたい」って言えば、だいたい面接は受けれる状態だった。

当時はメールや就活サイトがないので、就活生宛てに企業から案内が届きます。段ボール2箱分くらいの書類のうち、3分の1が女性向けでした。名前が"まどか"だから、「生保レディにようこそ」とか来るんです(笑)

――モテモテですね(笑)多くの企業から案内があったとのことですが、入りたい企業や業界、職種など、いわゆる「就活の軸」はあったんですか?

澤 正直、就活を始めたばかりの頃は何も考えてませんでした。そもそも就活というものがよく分からなくて。とりあえず稼がなきゃいけないからどこかに入ろう、みたいな感じで。志望業界もめちゃくちゃでしたし、本当に何も考えていなかった。

経済学部にいましたし、父親が証券会社で働いていたので、漠然と金融かなと思ってたことはありました。でも自分にはやりたいことや職業的なイメージが全然なく、かなり酷い就職活動だったなと思います。

なにか違う、と思って内定辞退。『007』の凄腕エンジニアQに憧れてエンジニアを志す

澤 そうしてなんとなく内定をもらい内定式にも出て、「ここに入ろうかな」みたいなことをぼんやり思ってたけど、なんかしっくりこなかった。

だから後先考えずに、年末に内定辞退しちゃったんですね。弁護士でもプロボクサーでも宇宙飛行士でもなんでもいい、何かになろうって決めたんですよ。

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――スペシャリストになりたかった、ということですか?


澤 スペシャリストとか格好良いことじゃないです。「何をやっているのか」って聞かれたときに、会社名じゃなくて自分のやっていることで自己紹介したいと思ったんです。

そもそも何になりたいのか、っていろいろな職業を考えたときに、ふと思いついたのが映画『007』のQ。Qは特殊な銃やボンド専用の車を開発して、主役のジェームズ・ボンドに渡す名脇役です。

ボンドはQが作っている武器があるからミッションをこなせるのであって、彼がいなければ30秒で死にますからね。だからQのようにエンジニアになって、フィールドに出てる人を支える役割がいいんじゃないかと。

あとは学生時代にスキューバダイビングやってたんですけど、同じ船に乗ってた人の中にシステムエンジニア(SE)がいて、SEっていうのが結構シンプルで格好良いなと当時感じました。この2つがリンクして、「SEになろう」って思いました。

SE志望なのに、エンジニアの仕事を知らなかった

――では年明けからの就活は、SE志望だったんですね。
澤 そう、完全にSE志望。「文系出身でもSEに育てる」という企業からの募集がいくつかので、何社か受けさせてもらったうち、生命保険関係のIT子会社に拾ってもらいました。

ただし、コンピューターを使うっていうのを漠然と知っていただけで、何するかはさっぱり知らなかった(笑)

――SE志望なのに。当時はコンピューターを触った経験がない人も多かったでしょうね。

澤 家にはパソコンがあったので、コンピューターがどういう形をしているか、ぐらいのことは分かってました(笑)10歳上の兄貴が研究者で、NEC PC-8001っていう伝説のマシンを持っていたんです。

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NEC PC-8001series Wikipedia commons


ただ、僕自身はフロッピーでゲームをやったことがある程度。使いこなせるわけではなく、大した知識がある状態ではなかった。


――コンピュータの知識も仕事内容も、と分からないことだらけの中で不安じゃなかったんですか?

澤 不安はあったと思うんですけど、だからといってその仕事を選ばないのかっていうのもしっくりこなかったんですよね。

要するに、新卒時代ってどの職業を選んでも自分がやったことない職業なんですよ。

学生時代にディズニーランドで接客のアルバイトをしていたとき、楽しいしそれなりに仕事はこなせたけれど、職業にするのは違うなと感じていた。営業職は向いてないのかなと漠然と思ってました。

営業じゃないとなると、コンピューターを知ってSEになる、というのはいい選択肢のように思えました。

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今の仕事は、自分が本当に憧れていたことなのか?

――それなのに、『マイクロソフト伝説マネジャーの 世界№1プレゼン術』で「プログラミングにそんなに向いていると思わなかった。」って書かれていてちょっとびっくりしました。

澤 向いてるどころの騒ぎじゃなく、全くダメダメでした。話にならなかったです。

プログラミングには、プログラミング言語で書かれた文字列(ソースコード)をコンピューターが分かる形に翻訳する作業(コンパイル)があって、そのコンパイルが通ると処理を実行することができます。

僕が書いていたのはCOBOLっていう言語なんですけど、コンパイルが通った試しがないんです(笑)要するにコードがちゃんと書けてない状態が当たり前だった。仕方ないから通るまで必死に直していたものの、全然通らないし、バグだらけだし、途中から面倒臭くなっちゃう。

しかも当時研修でやっていたプログラミングって、まずは紙に手書きなんですよ。だから結構かったるくて。

――えっ、プログラミングなのに紙?

澤 途中からはさすがに紙じゃなくなりましたよ(笑)でもパンチしてキーボードで打って、コンパイルのコードがプリントアウトされたのを紙でチェックして、エラーがあるならその場所を探して、コーディングし直してからコンパイルする。入社してから3年間、この作業をずっと繰り返していました。

007のQにあこがれてプログラマになったのに、真っ黒な画面に白い文字が出てくるのを見るだけ。007とは本当にかけ離れた世界でした。

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自社用のプロダクトを受託開発する狭い世界で、自分の将来が見えなかった

――入社から3年間、なかなか大変だったんですね。

澤 大変でしたね。ちょっと進んでは止まるっていう状態の繰り返しでしたし、そもそもプログラミング用語も知らない、と分からないことづくめでした。あとは大企業の子会社でシステム会社だったというのもあって、世界がとても狭かった。

朝になったら出勤しなきゃいけないし、プログラミングが終わっても、ちゃんと処理されるまでなかなか帰れない。会社に泊まることもざらでしたし、プログラミングでつっかえながらの長時間労働だったから、本当にしんどかったですね。

――そんな状態だと、今後のキャリアだとか自分が将来どうしたいとかは……

澤 考える余裕すらありませんでしたよ。普段会話するのは同僚と上司だけというすごく狭い世界の中で、みんな僕より優秀に見えた。

そんな環境でも働き続けられたのは、直属の先輩の存在と、社内ではユニークな部署にいたことでした。

先輩は優しくて技術的な部分を色々教えてくれるだけでなく、気晴らしに飲みに連れてくれたこともあって、ベタですが嬉しかったですね。先輩のおかげでどうにかもったっていう感じです。

外部の仕事を請け負う部署にいたのもラッキーでした。親会社の仕事をしている人が圧倒的に多いなか、僕だけ外部の仕事をするっていう少数派の部署だったんですね。

名刺を持っていたから外に配ることもできるし、「外部を知らないといけない」という大義名分のもとで、イベントに行ったりもできたんですよ。他の部署の人は社内でしか活動しないから、名刺すら持たされていなかった。

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Windows95の登場とインターネット普及の予感

――これまでのお話から、どうやって今の澤さんの姿につながるのか想像できないです。

澤 僕にとっての大きなターニングポイントは1995年にWindows95が出て、インターネット元年が来たこと。

インターネットっていうものが世の中にバーンと出てきて、みんなが初心者。存在をある程度知ってる人はいたかもしれないけど、インターネット時代を味わうのは全員が初めてなんですよ。

これだ!と。

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文系だし、当時はエンジニアのバックグラウンドもなかったけど、これってたぶんすごいことなんじゃないかって思いました。インターネット上には未知の情報がたくさんあるし、日進月歩でいろんなことが進化していくって感覚がなんとなくありました。


僕が仕事で扱っていた汎用機のメインフレームは、専用の回線でないと使えないし、特定の場所じゃないとアクセスできない。でもインターネットは電話回線さえあれば接続できて、いろんなところから情報を取りにいける。

「インターネットにとにかく詳しくなるぞ」っていうことで、とにかくコンピューター雑誌を買い漁り、高いパソコンをローン組んで買って家に回線を引いて、インターネットに繋いで毎日ネットサーフィンする、ということをやりまくったんです。

――マシンを買ったり、たくさん情報収集したことが結果的に自己投資になった、と。

澤 Windows95になってから、ものすごく簡単にインターネット接続できるようになったんです。簡単にいろんなデータへアクセスできるし、地球の裏側にもワンクリックで情報を送ることができる。一世代前のWindows3.1では、ネットワークに接続すること自体が大変でした。

インターネットが変えたのは、情報の手に入れ方だけではありません。

インターネット普及前のプログラマは、コンピューティングそのものに詳しいことが求められていました。紙のプログラミングができたり、レガシーなシステムを知っていることが価値だったんです。

でもインターネットの時代は全然違う。過去の知識を蓄えるだけじゃなくて、新しいものを次々と取り入れる人の方が価値がある。僕は新しいもの好きなんで、インターネットはめちゃくちゃ性に合っていた。

――高いパソコン、自腹で買われたんですよね。何回のローンだったんですか?

澤 2年ローンだったかな。Gateway2000というメーカーのPentium 133MHzっていうCPUを搭載した、当時にしてはすごく良いマシンだったんですけど、必死こいて買いました。清水の舞台から飛び降りるくらいの勢いで。当時は安月給だったから、良いマシンを買うっていうのは、やはり勇気がいることでしたね。

今でも新しいガジェットに注目し、面白そうなものは買うようにしてます。

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ナンバーワンを競うのではなく、自分だけのユニークなポジションにいることが快適だと気づいた 

――社内のお仕事も変わっていったんですか?

澤 新卒のときには与えられた仕事をこなすことが大事なので、まずはそこに注力していました。

でもネットの世界がやってきたときに、ネットについて分かる奴がとても少ないとなると話が違う。当時、社内に英語で検索して何らかの情報を取る、という人間がほとんどいなかったので、自分だけが知っている情報も増えていきました。そうなると「澤が結構知ってるらしいから、あいつに聞いてみようぜ」っていろんな人から頼まれて、社内で重宝されるようになるんですよ。

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――自分から情報を発信されていたんですか?


澤 いや、世界が狭かったので、社内でインターネットの話をしたり、設定をしてる姿を見られたりするうちにどんどんオーダーが来たんです。「こいつはこういう人間だよな」というタグが自然についてきた。

テクノロジーの企業にいるのに、自腹でパソコン買って、家で触ってる人がすごく少なかったんですよ。どちらかと言うと「会社でやってるのにわざわざ家に帰ってまで触りたくない」という人が多かったんですね。

でも僕は自腹で買って、家でも触ってたっていう。そこでキャリアに差がつきましたよね。

このことは転職のきっかけにもなりました。

Lotus Notesという企業向けソフトのカスタマイズ担当になり、グループウェアの見た目を変えるプログラミングが増え、コンピューティングの楽しさに気づきはじめました。でも色々とあって、社内プロジェクトのメンバーに僕は入れなくて。せっかくプログラミングも覚えたのに、なんでできないんだって。

僕はテクノロジー業界そのものの情報収集をして社内にフィードバックする、という仕事もさせてもらえたので、ちょくちょく外部のIT系のイベントに行っていました。そこでたまだまブースを出していた転職エージェントの一社とご縁ができて、今の会社に転職することになしました。

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就活に命はかかっていない


――新卒時代のお話をうかがったところで、就活生へのメッセージをお願いします。冒頭で、「他人と比べるから辛くなる」とおっしゃっていましたね。

澤 それ、一番大きいですね。他人と比べて焦ったり、辛くなってしまう人は多いと思うんですけど、そんなのはあまり必要ないかなっていう。自分のペースでやればいいじゃん、って。

僕は、そもそも就活というある種のイベント的なものはナンセンスだって思ってるんですよ。でもそういう仕組みになっちゃってるんで仕方ない。自分のやりたいことを、自分のやり方でだけでやればいい話です。面接で着たい服着ればいいし、好きな髪形すればいいし、好きなことを言えばいい。

「こう言わなければならない」ってことにのっとって、内定をもらいにいく。内定をもらうことを目的にしちゃったら、本当にくだらないです。

内定が全然出ないんだったら、「みんな見る目ないな」もしくは「むしろ合わない会社に行かないで良かった」って思えばいいだけの話なんですよ。
 

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ロングヘアは「単に伸びちゃっただけ」とのこと。冬場はスキーばかりしてて髪を切らずに過ごし、春に一気に切っていたものの、2004~5年ごろからそのまま伸ばすようにしている


なんでそう思えないかというと、他人と比べるからなんですよ。なんであいつは内定いっぱいもらえて、自分はもらえないんだって。むしろそれは誇りに思うくらいでいいんですよ。死にやしないから。就活に命はかかっていません。


――親が心配するから内定がほしい、って就活生もいるようです。

澤 いや、「親が心配するから」って、親なんて就職に関係ないですから。いわゆる「親ブロック」ってあるじゃないですか。これほどくだらないものはない。

まず、親の就職観は30年前のものです。そんなものを気にする必要はないですし、第一、親はあなたの人生に全部の責任は取りません。あなたはあなたの人生を生きないといけない。

だから応援じゃなくて、心配や邪魔だけするような親なんて縁切っちまえってことなんですよ(笑)だって、極論はそうなんですよ。あなたの人生なんだからって。

やりたいことが明確にあるんだったら、やりたいことをやればいい。ネガティブなことを言ったり、昔のしきたりを押し付けるおっさんもいますが、やりたいことがあるなら無視だよ無視(笑)

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やりたいことより先に「どうありたいか」を考えよ


――見つかるまで焦らなくていい、とは言っても……やりたいことが分からない人はどうすればいいですか?

澤 とにかくいろんな人に会う。あとは、自分が憧れているものや、好きなキャラクターとかがないか探して欲しいですね。ワンピースのルフィでもいいし、北斗の拳のケンシロウでも、なんでもいいんですよ。

憧れるもの、つまり自分がこんな風になれるといいなっていうものってないの?って。そこから、憧れている理由を言語化していくとやりたいことが見えてくるかもしれない。

ハーバードビジネススクールで紹介されていた「学びの三段階」というものがあります。
Knowing、Doing、Beingの3つです。Knowingは知ること、Doingがやること、Beingが「どうありたいか」。このうちDoingにフォーカスし過ぎると、やりたいことばかり突き詰めてしまう。その前にBeing、つまりあなたはどうありたいのかを決めなくちゃいけない。
 

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自分はどういう人か、何を幸せを感じるのか、憧れてることはどういうことか……ということを色々考えていく。


ありたい自分に近づくためには何をするのか。どうすれば実現できるのかって考えていくと、やりたいことが自然に見つかってくるんじゃないかって。

――澤さん自身は、やりたいことをどうやって見つけられたんですか。

澤 僕自身のやりたいことが「他人をハッピーにすること」だと気づいたのは、ごく最近なんです。

さっき話した007のQは、007を助けることで役割を果たして、自分もハッピーになっている。僕もQのように、誰かを活躍させたりハッピーにしたりすることが結構好きなんだなっていう。

裏方ばっかりやるのが好きなのかっていうと、それはちょっと違う。自分のプレゼンを見たり聞いたりした人がハッピーになってもらえると、僕自身も幸せだと感じられるんです。

昔から人を楽しませることは好きだったけど、あまり機会がありませんでした。他人に対して何か伝えなきゃいけない立場になったりマネージャーになったり、と色々なことが重なって、自分を深堀りする機会が増えた結果、ようやく気づけました。

――では就活を進めていくうえで自己分析をしたり将来像とかを考えることはあっても、今の時点ではっきり決めなくても大丈夫、と。

澤 そう。少なくとも「やりたいことがないから」と言って苦しむ必要はない。気に病む必要もなければ、そのうち見つかるからいいや、で構いません。他の人と比べたりして自ら苦しまないでください。

勉強会やセミナーに行くのもやりたいことを見つけるひとつの手ですが、僕がおすすめしてるのは、スタッフとして参加すること。登壇者の楽屋トークをスタッフとして聞く方が、情報の純度が高いんですよ。

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ちょっとすごい人って、◯◯なだけなんですよ。

――セミナーの登壇者は著名人が多いですもんね。

澤 学生スタッフだと、僕のような登壇者も油断するので、普段ならお金をいただくようなこともさらっと教えちゃったりする(笑)

みなさんが思ってる成功者とか著名人とかっていうのは、意外と普通の人なんです。ただし、ちょっとだけいろんなものに気づいたり、行動するのが早い。人よりも1秒早くものを言うとか、人よりも5分早く行動するとか。失敗に気づくのも早いから、撤退も早い。

この些細な違いが、のちに大きな差を生み出すのだと思います。

もちろん中にはすごい才能を持つ人もいるけど、最近輝いている人の多くは行動することへの投資も惜しまないし、自分で考えて判断するのがちょっとだけ早い。

そんなに差はないんだから、「あの人たちは特別だから、自分と違うからできるんだ」っていう風に思わないこと。他の人が立ち止まっている間に少しだけ早く行動できれば、いずれあなたもそっち側になれますよ、ってことは知っていてほしいですね。

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撮影:林ユバ(@yubahayashi / yubahayashi.com

 

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