就活は軸がなくても大丈夫!?人事のプロが教えるキャリアドリフトで人生を切り開く術

就活中に、「やりたい仕事がわからない」「自分に合う会社って何?」と悩んでしまうことはありませんか?

今回お話を聞いたのは、人事、採用のプロフェッショナルとして多くの企業の人事から絶大な信頼を獲得している曽和利光さん。現在でこそ、人材業界の最前線で活躍されている曽和さんですが、実は学生時代やリクルート時代は、いわゆるコミュ障でとても苦労されたのだとか。

「学生のうちはやりたいことがなくても大丈夫」と語る曽和さん。一体、どのような就職活動をし、どのような新人時代を過ごして、今の活躍があるのでしょうか? 曽和さんのキャリアから、新人時代を有意義に過ごすヒントを探っていきます。
 

曽和 利光(そわ・としみつ)
1971年8月6日生まれ、愛知県豊田市出身。新卒で株式会社リクルートに入社後、ライフネット生命保険株式会社と株式会社オープンハウスを経て、2011年に株式会社人材研究所を設立。「人と、組織の可能性の最大化」をテーマに掲げ、人事、採用にコンサルティング事業などを展開。「コミュ障のための面接戦略」など、これまで多くの書籍を出版し、いずれも大きな話題を集めている。
 

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人事・採用のプロは、実は学生時代はコミュ障だった!?

――人事・採用のプロと呼ばれている曽和さんですが、大学では何を専攻されていたのですか?

京都大学の教育学部で心理学を専攻していました。今では心理学というと非常にポピュラーですが当時はまだまだマニアックな学問で、在籍している学生は一癖も二癖もある人ばかりでしたね…。僕も周りもコミュ障でした(笑)。

――人事のプロがコミュ障…!? 心理学に興味を持ったきっかけは何だったんですか?

今は違うのですが(笑)、僕は小学生の頃から雑誌『ムー』を定期購読するほど、超古代文明や予言、超能力などいわゆるオカルト好きだったんです。そして、そのオカルト的なものの論理的支柱になっていたのがスイスの精神科医・心理学者のユングでした。
 
なので、僕の中でユングはオカルト的な存在で、高校生の頃に図書館でユングに関する本に初めて出会ったときは驚きました。ユングの心理学をまともに研究して実践に生かしている人がいるんだ、と。そのとき読んだ河合隼雄先生の臨床心理学の本に感銘を受けて、河合先生が京大の教授だからという理由で京大に進学を決めたんです。

――臨床心理学のどういったところに惹かれたのでしょうか。

子どもを事故で亡くした親がいたとします。その人は「なぜ自分の子どもが死ななければならなかったのだろう」と心に傷を追ってしまいますよね。実際は誰もその問いに答えることができませんが、臨床心理学なら応えることができます。
 
例えば、河合先生も最終講義でおっしゃっていた「コンステレーション(constellation)」という理論があるんですが、これは「時間が経つにつれて点と点がつながって意味が分かる」という考え方です。このコンステレーションの手法で子どもの死に意味を持たせることで、親御さんの心を癒やす手助けができます。
 
臨床心理を学ぶ多くの人は、こうした「人の人生に意味を生み出す」ことが目的だと考えていて、僕もその1人でした。
 

 

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閉鎖的に過ごした大学時代、大きな挫折を味わった


――大学時代はどんな風に過ごしたんですか?

周りには「自己をどう捉えて、どのように生きていくか」という難題の答えを求めて入学してきたやつが大半で、友人と話す内容は世の中のことではなく「自分たちって何だろう?」ということばかりで。
 
半径3メートル以内の世界で生きているというか、その先にいろいろな世界が広がっていると分かっていても何に対しても関心がなく、むしろ社会に出たくないと考えていたくらいです。なので、当時はサラリーマンとして働くことには全く興味がもてませんでした。

――かなり閉鎖的だったんですね。将来やりたいことはあったんでしょうか。

心理学者になりたいと思っていました。このまま心理学を研究し続けて、人間心理の探求や臨床の現場で活躍したいと考えていたんです。
 
ただ、特に臨床の世界で活躍するのは自分自身も壮絶な経験をしているばかり人でした。そして友人たちも想像を絶するほど貧乏だったり、複雑な家庭環境で育ったり、凄まじい経験をしているやつが多くて。自分の人生を振り返ってみるとそこまでの辛い経験はなかったですし、身近にそういう人がいると、変なコンプレックスが生まれるんですよね。

――逆にうらやましかった…?

そうですね。不登校を経験した人は、同じように不登校で悩む人に対して理解がありますよね。だから臨床の場でもズドンと核心に迫る言葉をかけることができたり、洞察も深いので効果的なカウンセリングができます。
 
僕は勉強を続けていくうちに「傷ついた人の心に寄り添えるやつには適わないな」と気づいてしまって、大学4年の夏頃に学者の道を諦めたんです。研究の道を目指す人の中には自分よりもっとすごいやつがいる、と。大学は論文を出せば卒業できたんですが、提出せずに留年して“大学5年生”になりました。

――社会に出る前に大きな挫折を経験したんですね。

ただ、学者を諦めて留年して「これからどう生きていこうか?」と考えていたときに、ふと気づいたことがあったんです。日本には6000万人の労働者がいて、その人たちの中には精神的に苦しい思いをしていたり、悩んでいる方がたくさんいる。心理学は主に病気や障害を持った方、アルコール中毒や虐待などで悩んでいる方を研究や臨床の対象にしていますが、「労働者」はその対象から抜け落ちているんじゃないかと。

将来何をするか考えていたときに、もしかしたら今まで自分が学んできたことを日本の働く人たちのために役立てられるんじゃないかと思うようになったんです。 それに気づいたとき、少しずつ自分の視野が広がって世界が開けてきました。今振り返ってみると、僕は成長が遅かったのかもしれませんね(笑)。
 
リクルートという会社に出会ったのもちょうどその頃でした。
 

 

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思わぬ出会いで始まった社会人への第一歩


――大学卒業後はリクルートに入社されていますが、きっかけは何だったんでしょうか。

きっかけは大学の飲み会で出会った先輩でした。「留年するらしいね、就職はどうするの?」と話しかけられたので正直にわけを伝えると、「それならウチの会社を見に来ればいいじゃない」と言ってくれて。後日見学に行ったのがリクルートで、社員の方とざっくばらんに話をしました。

――どんな話をしたんですか?

話というのも、主に僕が大学の友人としていた「自分とは何か」といった悶々とした話で(笑)。お昼から夕方くらいまでの半日間、その方はずっと真剣に耳を傾けてくれました。あのときはよく耐えてくださったなと今でも思いますね。

――半日は結構長いですね(笑)。では、その後選考が…?

すぐに選考を受けたわけではないんです。社員の方に時給3500円のアンケート調査のアルバイトをやらないかと誘われて、アルバイトしていました。その間に何度か社員の方と飲みに行って会社の説明を受けていましたが、あくまでも気軽な飲み会という感じで、面接ではありませんでしたね。

でも、何度か会社の話を聞いているうちに僕も興味が興味がわいてきて。「リクルートに興味が出てきたんですけど、採用活動ってされてますか?」と聞いたら、「えっ、ウチを受けたかったの? 水臭いな」と、面接をセッティングしてくれました。今思えば最初から選考を受けさせるつもりだったのかもしれません(笑)。なので僕が面接をしたのは最終面接の1回きりで、その後内定をいただきました。

――他の企業の選考は受けていたんですか?

いえ、どこも受けていません…(笑)。大学も「河合先生がいるから」という理由で京大しか受けていませんでしたし、もともと比較検討をしないタイプなんです。いろいろな出会いの中でいいなと思ったら、それを選び取って前に進んできた感じで。

――これと決めた道にそのまま進めているのがすごいです…。リクルートのどんなところに惹かれたんでしょうか。

会社説明を何度か受けたときに、「自分たちは“日本株式会社の人事部”だという気概で仕事をしている」というお話をされていて、ここなら6000万人の労働者を対象に自分の学んできたことを存分に活かせるかもしれないと感じたんです。
 
リクルートも「ある領域で尖っているやつがいたら採用しよう」という方針だったので、僕のことも「こういうやつが1人くらいいてもいいか」と思われて採ってもらえたのかもしれません。リクルートの多様性に助けられましたね。
 

 

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入社前に待ち受けていた苦難。周りはみんな優秀だった


――入社後はどんな仕事をしていたんですか?

まず入社前に内定者アルバイトというのがあったんです。僕は早速そこでつまずきました。

関西の大学の内定者が集まって今で言う「ホットペッパー」の営業をするアルバイトだったんですが、周りは口が上手い優秀な人が揃っていて、みんなものすごい数の契約を取ってくるんです。僕も頑張って飛び込み営業をするんですが、もともとコミュ障ですし「なんか暗いやつが来たな」と思われてしまって契約も取れず…。営業成績はずっとビリでした。

――いきなり営業というのもすごいですね。

アルバイトでそんな感じだったので、自分は一体どういう仕事を任されるんだろうと心配していたら、人事部の採用担当として配属されました。周りのほとんどが営業部に配属されていたので、おそらく僕は営業としてやっていけないだろうと判断されて消去法で決まったんでしょうね(笑)。

こうして人事としての僕のキャリアがスタートしました。
 

 

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社会人として飛躍した新人時代


――営業は苦手だったけど、採用担当の仕事は曽和さんに向いていた…?

いや、全然そんなことないですよ! 初めのうちは先輩が担当する面接に同席し、隣で一通りの流れを見せてもらっていました。その後すぐに僕も面接を任されたんですが、これがもうめちゃくちゃで(笑)。頭が真っ白になってしまって、全然人の話を聞けなかったんです。

――めちゃくちゃだった面接、気になります!

面接って普通は相手の志望動機や自己PRについて掘り下げて聞いていったり、学生に話してもらいますよね。でも僕はラクロス部の学生が面接に来たとき、「ラクロス部って他の部活との兼ね合いで朝しかグラウンドを使えなくて大変だよね」と延々と自分が話してしまって…。その学生は僕の話に対して「はい」しか言ってないのに、「きちんと返事をしてくれていいやつだ!」と思って、選考を通過させてしまいました。

先輩からは何度も「もっと相手の話を聞け!」と怒られていましたし、入社後は苦労の連続でした。

――そこからどのようにして成長されたんでしょうか?

リクルートが新人には量をこなして実力を付けさせる会社だったことが幸いしました。僕もまさに1000本ノックという感じで、とにかく面接をたくさんやったんです。昼夜関係なく、土日もずっと学生と面接をしていると自然と型が身について多少は話もできるようになりました。

どんなにできない人間でも、繰り返し同じことを続ければさすがに成長するんだなと(笑)。僕自身、これと決めたら徹底的にやるタイプだったので、数をこなして慣れていくやり方は合っていたんだと思います。

――新人の頃からかなりハードだったんですね。今までどれくらい面接してきたんですか?

僕は「2万人を面接した経験がある」と謳っているんですが、これは全く盛っていませんしむしろもっと会っていると思います。

採用責任者になったときも、自分が責任者になった以上は自分の目ですべての学生を見たかったので限界までやろうと決めていました。面接ピークの4~5月だけで600時間は面接に費やしていて、50日間、午前9時から午後9時まで12時間ぶっ続けで面接していました。休みは面接が早く終わったときだけでした。

――600時間…。

リクルートの歴史の中でも、これだけストイックに面接をやった人は少ないんじゃないかな…?と思います。僕が一人前の人事になれたのは特別なスキルがあるわけではなく、圧倒的な数をこなした経験があったからだと思っています。
 
――なぜそこまでストイックに続けられたんでしょうか?

中学の頃、1年間だけ禅僧みたいな生活をしていたんですが、その経験が大きいかもしれません。
 

ぜ、禅僧…!?
 

僕の通っていた中学は公立校でヤンキーもたくさんいて、その中で普通の学生だった僕の成績はオール5。でもそのときから漠然と将来への不安を感じていました。スポーツが得意なわけでもないし、将来やりたいことも思いつかない。「自分は何をやればいいんだろう?」と突き詰めて考えた結果、自分の能力で秀でているのは学力だ、学問で身を立てようと決めたんです。

そんなときにちょうど入江塾というスパルタで有名な塾があると知って。学問で身を立てる覚悟があるならこの厳しい塾に通うくらいでないといけないなと思い、親を説得して通うことにしました。

――どれくらいスパルタだったんですか?
曽和 入江塾は365日開講していて、基本的に自習が中心でした。夏休みの40日間は山で合宿をして、朝の6時から夜の3時までこもりっきりで勉強してましたね。朝遅刻しようものなら部屋の柱にぐるぐる巻きにされましたし、お風呂もほとんど入ることなくずっと勉強してました(笑)。そんな環境で勉強していたからこそ灘高校に進学できたし、リクルートでもストイックな働き方ができたんだと思います。
 

 

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心理学を活かして学生のデータを取っていた


――ご自身に影響を与えた先輩はいましたか?

今Jリーグの理事長を務めている村井満さんや、ソフトバンクグループで人事を統括されている青野史寛さんなど、上司や先輩に天才人事マンがいて薫陶を受けることができたのは大きかったですね。一緒に同じプロジェクトに携わった経験はあったりなかったりですが、僕は天才たちのやり方を直接見たり、間接的に聞いたりして分析をして、それを活かしたマニュアルを作っていました。
 
――そのマニュアルを使って、天才の手法を他の人にも伝えていた…?

そうですね。今振り返ってもとても恵まれたポジションにいたなと思います。当時はとにかくたくさんの学生に会いましたし、人事・採用の仕事で活用できるデータベースを築けました。

面接で会った学生が入社後にどう変わるかといった、ビフォーアフターのデータも蓄積できたことは今の仕事にも大きく役立っていますね。心理学を学んでいたことも、仕事に活きたんだと思います。

――確かに面接で心理学は役立ちそうですね。

面接に来た学生がどんなキャラクターなのかをじっくり見るのは楽しかったですね。だからこそこの仕事を続けてこれたのかもしれません。
 
今僕は企業に対する人事コンサルティングをやっていますが、面接官の中には「学生がみんな同じことを言う」と嘆いている人もいます。だけど、実は同じことなんて言っていなくて、そう思ってしまうのは人を見るときの「解像度」の問題だと思っています。解像度が低いと人物はぼやけて、みんな同じ色や形に見えてしまいますよね。

――解像度を高めて見てあげないと何もわからない、ということですね。

そう、例えば自分が「青色」しか知らないと青系統の色は全部同じ色にしか見えませんよね? だけど、藍色や群青色を知っていると見え方が変わります。つまり、人を表現する言葉を多く知っていたり、洞察力を鍛えることで学生を細かく見分けることができるんです。
 

 

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リクルートで得た財産は「人の繋がり」


――リクルートのあとは、ライフネット生命、オープンハウスと二度転職をされていますよね。

リクルートにはリクルートの採用方法があり、ライフネット生命やオープンハウスにもそれぞれのやり方があります。異なるタイプの会社を経験することで、人事の仕事の普遍的な理論を見つけたかったんです。 いろいろな経験をしてふるいをかけて残ったものが「セオリー」だから、自分が学んだことがどの現場でも通用するのか知りたくて。

――なるほど、自分が学んだことを他社で“実験”したかったんですね。

…とは言っても、ライフネット生命への転職はリクルート時代の元部下が引き合わせてくれたからで、オープンハウスに行ったのもリクルート時代の同僚が誘ってくれたからです。

ちなみにリクルートで僕の最終面接をしていただいた方は、今弊社で経営管理の執行役員を務めてくださっています。こうした繋がりはリクルートで得られた財産だと思っています。

――人の縁を大切していった結果、今があるということですね。では、新人時代から変わらないことってありますか?

3社を経験したあとに今の会社を立ち上げましたが、起業すると基本的に休みはありません。マンションの一室からスタートした会社ですが、今でも社内で一番働いているという自負がありますし「がむしゃらに働く」という部分は昔から変わらないところですね。
 
基本的に依頼された仕事は断りませんし、4時間かけて広島に行き、4時間の講習をしたあと、4時間かけて帰ってくるということも日常茶飯事です(笑)。

――多忙すぎます…。ちなみにずっと人事に関わる仕事をされていますが、他の仕事をしてみたいと思ったことはないんですか?

うーん…例えば僕がもし好奇心旺盛だったら、他の仕事がしたくなったり「このままこの仕事を続けていていいんだろうか」みたいに不安になるんでしょうね。でも僕は1つのことをやり続けるのが苦ではなかったし、好奇心も旺盛じゃなかった。だから今もこの仕事を続けています。
 

 

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キャリアドリフトで自分の可能性を広げていく


――最後に、今就活を頑張っている学生に向けてアドバイスをお願いします。

最近では、学生に対して「自分の人生やキャリアを主体的に考え、実現していく」といったキャリアデザインの考え方を求めるのが当たり前になっています。
 
就活でも「あなたの軸は何ですか?」とか「どんなビジョンを持っていますか?」といった質問もされると思います。だけど僕は、みんなある種「キャリアデザイン病」に侵されているんじゃないかな?と感じていて。

――キャリアデザイン病…?

周りがみんなキャリアデザインが大切と言っていたり、やりたいことがないといけないみたいな風潮があるから、焦って将来を決めようとする学生が多いなと思っているんです。
 
本当に心の底から「将来こうなりたい」と思うなら、キャリアデザインのような人生設計をすることは大切だと思います。ただ、そんな風に将来やりたいことを見つけられる人ばかりじゃないですよね?

――むしろ「やりたいことがない」と考えている学生のほうが多そうです。

もし学生が「これをやりたいに決まっているんだ」と自分に思い込ませて就活していたら、1回立ち止まって考えてほしいなと思います。やりたいことを決めつけてしまったら、それは根っこのないねつ造された「WILL」です。

若いうちに自分の将来を無理に決めつける必要はありません。ちょっとくらいふらふらしてても大丈夫。学生時代は「何者でもない自分」でいるほうが価値がありますよ。ビジネスのスキルなんて、あとからいくらでも身につけられますからね。

――確かに曽和さんだって最初から自分のキャリアについて考えていたわけではないですもんね。

そう、僕の場合はキャリアデザインではなく「キャリアドリフト」。これはキャリアデザインとは正反対の理論で、波に流されて漂流(ドリフト)するように、自然の流れに身を任せてキャリアを歩むという考え方です。

もし今、「自分はこれがやりたいんだ!」と決めつけて就活している方がいたら、その考えを一旦取り払ってみてください。別に最初はやりたいことがなくたっていいんですよ。人の出会いや偶然の出来事を受け止めていくと、想像以上に面白い人生を歩むことができます。迷ったらいろんな人に会ってみてください。思いがけないチャンスが舞い込んで、人生の可能性が広がるかもしれませんよ。
 

取材・文:三輪大輔 撮影:中山 駿

 

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