高橋尚子の仕事哲学 〜高橋尚子から学ぶ目標達成への近道〜

シドニーオリンピックでは金メダルを獲得。その1年後には、当時の女子マラソン世界最高記録を樹立するなど、日本スポーツ史に大きな足跡を残している。
現在、スポーツキャスターやマラソン解説者として大活躍中の高橋尚子さんの仕事哲学を紐解きます。聞き手は「キャリアチケット」を運営する、レバレジーズ株式会社執行役員の間山哲規です。

目 次
  • 特別な意志があって「オリンピックに出たい」と思ったわけではない
  • 47人中45番目、人の倍以上努力する毎日
  • 小出監督なしでは、人生を語れない
  • 苦しいときに踏ん張るからこそ、根が伸びる
  • 困難や試練に直面したときに、はじめてその人の意志の強さが分かる
  • 結果を出したからといって浮かれてはいけない
  • 今後も色褪せないのは「知り合った人たちの関係」
 

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特別な意志があって「オリンピックに出たい」と思ったわけではない


ーはじめに、高橋さんがマラソンを始めたきっかけを教えてください。

私が陸上を知ったきっかけは中学校の部活です。もともと小学校のマラソン大会などで優勝することは多かったのですが、それでも「陸上に専念したい」「陸上という道に進みたい」という意志は全くありませんでした。中学校で必ず部活動に入らないといけなかったので、「バスケ部」か「陸上部」かどっちの部活動に行こうかすごく迷いました。仮入部にいったとき、バスケ部は小学校よりもとても上手な人が多い印象、陸上部ははじめて目にするものが多かったのでそこに惹かれました。

例えば、靴にピンがついているスパイクを見たり、今までは立ってスタートをするスタンディングスタートから、クラウチングスタートでブロックが置いてあるのを初めて見たり、極めつきは“よーいスタート”で鳴らすスターターピストルです。それを同世代の選手が鳴らしているのを見て「あ、刑事ドラマで鳴らしているピストルを私も鳴らしてみたい」と思ったのがきっかけです。(笑)そんな特別な意志があって「強くなりたい」「速くなりたい」「オリンピック出たい」とは思っていませんでした。

 

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47人中45番目、人の倍以上努力する毎日


ーその中で、陸上にのめり込んでいったきっかけとかはありますか。

最初は、タイムや順位をねらうというよりは、チームメイトと辛い練習を励まし合いながら一生懸命過ごしているということ自体が楽しかったという思い出が一番です。そこに初めて結果がついてくること、その一生懸命やっていることで学ぶこと、また友達の大切さを学んだり、ひとつひとつダメでもやり続ければできるようになったりっていうことを繰り返しました。またコミュニケーションの取りかたや、スポーツで学ぶルールや礼儀なども教わることは多かったので、得るものは大きかったのかなと思います。
 
ーいろいろな方がマラソンをやられている中で、最終的に超一流と言われるようなアスリートになれる人たちの特徴みたいなのものはありますか。

素質がある人達は山ほどいると思います。でも私は「素質がない」とずっと言われていたので、素質がある人が本当に羨ましくて仕方がなかったです。でも高校の時の先生に言われたのが、「お前は素質はないけど、頑張る素質はあるよ」と言われたのがとてもうれしくて。

でも頑張る素質は、体の素質と違ってやらなければなくなってしまうものだからこそ、自分自身は人の2倍やって人並み、人の3倍やって人以上ということを常に頭の中で考えて練習するようにしていました。そうやって、はじめには明らかに人と差があったものも、少しずつ少しずつ積み重ねで埋めていくことによって少しずつですが、力がついたのかなと思います。

最初から諦めずに少しずつやれることを繰り返して自信につなげていく」っていうことはすごく大きいのかなと。私はちゃんとそれが開花し始めたのが25歳以降で、そこまでの下積みは長かったんですが、それでも本当に小さい目標を立てて、それをクリアしていけば、自分の目指したい自分に少しずつ近づいてこれるのかなと思います。

-実際に練習量っていうのは、同年代の方の中では多い方でしたか?
 
小出監督のメニューは、世界一ハードなトレーニングだったと思います。当時は他の選手がどのような練習をしているのか私自身知らなかったので、その練習が当たり前だと思っていましたが。

監督自身も厳しいトレーニングをさせていることは分かっていたと思います。監督もむやみやたらに厳しいトレーニングをやらせたわけではなく、オリンピックを逆算したところで、これだけやらないと勝てないとわかっていての誘導だったんだと思います。

 

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小出監督なしでは、人生を語れない


ーいろんな選手を育ててきてる小出監督だからこそ、言われたことをきちんとやろうってスタンスだったのでしょうか。
 
最初はそうではありません。はじめから素晴らしい師匠や上司に会えるって人ってなかなか少ないと思います。時間とともに、意思疎通やコミュニケーションを取り合い、徐々にお互いを理解していくことがあって、やっと信頼出来る関係になると思います。

初めて実業団に入って、小出監督のところに志願して受け入れてもらいましたが「私はこうしたい」など、自分の色を出すことが多く、そのせいで上手く行かなかったことが多かったです。

監督は「俺の言うことは聞け!」みたいな感じで上から押さえつける監督ではありませんでした。「はじめは好きなようにやってみろ」と自由にやらせてもらったことで、いつまでたっても伸びない自分に、今度は経験のある監督の言うことを一回聞いてみようと思いました。

そのときは自分の「やれない」とか「無理だ」とか「苦しい」とか「嫌だ」とか、ネガティヴな感情は全部消して、監督が言われることを忠実に再現できるような形で、人形になろうと決めて行動した数年がすごく大きかったのかなと。

その後オリンピックまでは、お互いがお互いのことをしっかりと打ち明けた上でコミュニケーションを取れたことが、またひとつの上に登っていくところになったのかなと思ってます。「自分自身がこうしてもらえる」などの学生のような受け身にならずに、かと言ってわがままを通すのではなく自分の体の状態を伝えながらお互いの思いをぶつけあう。そういった積極的に向かう姿勢はすごく大切だと思います。

ー高橋さんの印象はすごい笑顔でゴールをされてて、走ること自体がすごく好きなのかなと思いましたが、走ってるときはどんな感じなのでしょうか。

42キロっていうとみんな「えーまだ42キロすごい長いね」って思うかも知れないですが「あー、あと42キロで終わっちゃう」「たったの42キロ」そんな気持ちでした。

監督のメニューは、一ヶ月で1200キロ〜1400キロは走ります。毎日の平均は40キロくらいで、最高だと毎週土曜日は1日80キロ、朝飯前に50キロです(笑)

ずっと最後まで「走ることが楽しい」を持ち続けられることができた要因は、練習が終わった後に必ず自分で「自分の遊び時間」っていうのを作っていたからです。「1時間探検ラン」と呼んでいるのですが、家の周りの普段走らない道をジョギングしたりして、初心に毎回戻るようにしていました。それが、最後まで楽しい陸上を続けられる事ができた要因だと思います。

 

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苦しいときに踏ん張るからこそ、根が伸びる


ー高橋さんを支えてきたものを教えてください。

高校時代に3つの言葉をいただいて、それが私の中の大きな核になっています。今の座右の銘にもなってますが、1つ目は「何も咲かない寒い日は下へ下へと根を伸ばせやがて大きな花が咲く」私もはじめから力がある選手ではなかったので、いまやってることが本当に力になっているのか、本当にこのあとに繋がっていくのかってすごく不安になることも多かったんです。そういった練習をこなしながら、これは絶対に今根を生やしてるとこなんだと、いつか絶対に役に立つ、これが成果が出るときがくると、頭の中で繰り返していたことで、その言葉に救われました。

困難や試練に直面したときに、はじめてその人の意志の強さが分かる

2つ目は「疾風に勁草を知る」。これは強い風の日に強い木がわかるということ。逆境のときに本当に強い選手がわかるよっていうような言葉です。よく言われたのは、強い風が吹いたときに大木っていうのは強そうに見えるけど折れてしまう。しなる竹のように、どれだけ臨機応変に対応できる力をつけられるかが大切なんだということを高校の先生が伝えてくれました。

陸上をしているとハプニングがたくさんあります。アジア大会は、気温30度以上、湿度90%以上の過酷な場所で大会当日の朝に朝食が届かなかったり。そういったハプニングがあっても平然と走らなければいけない。「試合会場にバスが遅れて15分前についてしまう、でもアップがないから走れない」なんてことも言えないので、どんな状況でも力を発揮出来るかどうかが試されたり。

結果を出したからといって浮かれてはいけない

3つ目に「丸い月夜も一夜だけ」。それこそオリンピックに使った言葉です。「満月も次の日になったらどんどん欠けていく」いつまでも満月のつもりでいてはいけないってことです。なかなか使うことがない言葉でしたが、オリンピックということで「金メダル」でいつまでも浮かれててはいけないと。

次の日から欠けてくるんだから、その日は喜んでも、その次の日からは次の満月に向けての準備をしようと。ずっと伝えられてた3つの言葉がいろんな自分を支えてくれたと思います。

 

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今後も色褪せないのは「知り合った人たちの関係」


―最後に、自己実現をするために高橋さんが大切だと思うことについて教えてください。

失敗することに恐れずに、いろんなことにチャレンジしてもらいたいと思います。嬉しいことや悲しいことやつらいこと、全てにおいてその経験が財産になります。経験が財産となるので、自分の可能性を手掛けてもらうために多くのことにチャレンジしてもらいたいです。

今私が感じるのは、オリンピックで金メダルであったり、世界記録で大きく人生が変わりましたが、私の中では時間が経つとそういった経験はがどんどん色あせてきてしまう部分が多いです。

やはりこれからも色褪せないものは、そのときに知り合った多くの人達との関係。人間関係がこれからの人生の中でも、自分の生活を充実させてくれたり、支えてくれるものにもなると思います。是非、多くの人たちと上手くコミュニケーションをとりながら人間関係を広げていってもらいたいなと思います。

高橋尚子プロフィール
1972年5月6日生まれ/岐阜県出身
中学から本格的に陸上競技を始め、県立岐阜商業高校、大阪学院大学を経て実業団へ。98年名古屋国際女子マラソンで初優勝、以来マラソン6連勝。2000年シドニー五輪金メダルを獲得し、同年国民栄誉賞受賞。2001年ベルリンでは女性として初めて2時間20分を切る世界記録(当時)を樹立する。08年10月現役引退を発表。

公益財団法人日本陸上競技連盟 理事、公益財団法人日本オリンピック委員会 理事、公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会アスリート委員会委員長、一般社団法人パラスポーツ推進ネットワーク理事長。その他「高橋尚子のスマイル アフリカ プロジェクト」や環境活動、スポーツキャスター、JICAオフィシャルサポーターなどで活躍中。



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執行役員 間山哲規
1981年生まれ。神奈川県出身。新卒としてNTTデータに入社し、エンジニアとしてキャリアをスタート。その後、アディーレ法律事務所にてシステム責任者、事務局長を経て、2012年にレバレジーズに参画。全社の経営管理体制の構築を担う他、若年層就職支援サービス「ハタラクティブ」、アパレル業界特化人材サービス「FASSIONE」、新卒向け就職支援サービス「キャリアチケット」をはじめ、複数の新規事業を創出、収益化を実現。2019年執行役員就任。

 

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